2019/03/01 空から見たメガソーラー

東京から札幌への出張の際は旅客機を使用します。新千歳空港から羽田空港へ向かう帰りの旅客機は、千葉県北部から木更津まで南下し、そこから東京湾を通過して着陸するルートを通ります。

千葉県を上空から眺めると印象深いのは、山々に点在する市街地とゴルフ場。そして近年はソーラーパネルの発電設備が山間や市街地郊外に目立つようになりました。また、かつてゴルフ場や農地だったであろう土地にソーラーパネルがずらりと並んでいる場所もありました。

一方で、気になる光景も目にしました。山を切り崩し、造成しているようなところです。採石場の跡地だったのかもしれません。しかし、樹木は伐採され、土がむき出しとなっている土地も確認できました。

初代理事長 櫛田光男の「曙雑記」

「曙雑記」とは櫛田が日頃見聞きしたことや感じたことを折に触れて書き留めておいたノートの名前です。このノートに書いたメモを文章として弊所季刊誌「不動産研究」に16回に渡り寄稿していました。その第7回目では「環境破壊」をテーマに綴られています。そこでは、環境破壊と経済成長とを対比し、環境破壊が公害として社会問題化されていることに警鐘を鳴らしています。

経済成長を計る指標にGDP(当時はGNP)があり、GDPを大きくするために当時の日本経済社会は邁進してきました。しかしそのしっぺ返しが環境破壊であり、公害であると説いています。環境破壊は、「自然を犯した人間に対する自然の復讐なのであるから、謙虚な気持ちで環境破壊に取り組むことが必要」と唱えているのです。

1970年代、高度経済成長と急激な工業化、自然破壊によって「公害」が社会問題となったことに対する警鐘のみならず、「人と土地との関係」を櫛田はもう一度考え直したかったのだろうと感じました。都市開発とは何か?経済成長によって人々は幸福になったのか?秩序なき都市化や生産活動は人にも自然にも「公害」「環境破壊」という復讐をしているのではないか、という問題提起です。

再生可能エネルギーとメガソーラー

再生可能エネルギーとは、石炭や石油などの化石燃料ではなく、風力や太陽光、地熱や潮力などの自然エネルギーを指します。この自然エネルギーを利用して発電するメガソーラーは、もちろん環境に優しいのですが、一方で、これらの設備機器の製造、運搬、開発・建設のために膨大なエネルギー(それは化石燃料によって作られたエネルギー)が必要だとしたら、それは一概には環境に優しいとはいえません。

このように、再生可能エネルギーの活用には、発電と製造コストや維持管理費との差し引きで環境に優しいか?という視点で検討されます。

ビジネスか環境保護か

国は「全量買取制度」を新設しました。特に太陽光発電による買取単価は他の発電単価よりも高く設定されたので、メガソーラー発電は瞬く間に広がりました。

国内では地方都市の縮小、農業等一次産業の衰退や土地価格の下落によって、地方の土地所有者は売るに売れず、使うに使えないという状況が長く続いてきたことでしょう。その点で、一定の初期投資によって人手もそれほどかからず収入が見込めるということで魅力的に捉えられたと思います。

遊休地や耕作放棄地を活用する点で、ソーラーパネル事業はとても有効であると考えます。しかし、ソーラーパネルを設置するために山を切り崩して広大な用地を造成しまうのはやや違和感を覚えます。

もちろん土地所有者は自己の土地の木を伐採することも、山を切り崩すことも、農地を潰すことも自由です。しかし、環境破壊という危険性は、土地所有者だけの問題ではなく、地域的な規模でその影響を及ぼすことも認識する必要があると考えます。万一、環境に優しいはずの再生可能エネルギーの活用が広域的な環境破壊を助長してしまっている可能性があるとすれば、それは何かしらの矛盾や経済活動と環境保護の両立の難しさを浮き彫りにしていると感じます。

人が土地をどのように活用するか?ということは自分だけの問題のみならず、環境や社会にも幅広く影響を及ぼす可能性があるということを意識するのは、とても重要だと感じました。