2019/02/22 歴史的資料の廃棄が意味するもの

東京地方裁判所において、民事訴訟の記録を永久保存する「特別保存」の制度が充分に活用されておらず、多くの著名訴訟の記録が廃棄されていたという報道があった。2018年8月には気象庁富士山測候所の職員が68年間つづった40冊札以上の「カンテラ日誌」が所在不明となり、東京管区気象台は文書整理の一環としてそれを廃棄していたことが判明した。

公文書管理の問題は今国会でも議論されており、保管コストの増大等は理解できるものの、過去の重要な記録(第一級の歴史資料を含む)を廃棄してしまうことには深い悲しみを感じる。

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記録を残す価値と意味

近年世界から注目されているユヴァル・ノア・ハラリ氏は、これまでの歴史学とは大きく異なる視点から人類の歴史を研究しているイスラエル出身の若手歴史学者である。有名な著作に「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」があり、日本でもベストセラーとなっている。

歴史的な解釈や研究は、過去の記録や資料の新たな発見などで、これまでの通説を覆すことも少なくない。最近では江戸末期から明治維新に至るまでの歴史解釈が様々な研究者や作家により見直しが行われ、多くの著作物も刊行されている。

過去の政治、経済に関する公式資料は、当時の「真実」を必ずしも意味していないこともある。その裏付けあるいは確証を裏付けるためにあるのが、元情報(記録)だ。

記録は事実が記載されていることもあれば、記録の作成者の主観的な思い、考えが反映されていることもあり、公式資料には残されていない「人の思い」を伝える重要な記録になり得るということを意味する。

不動産とは、人々の歴史的活動の結果のあらわれ

不動産のうち、「土地」自体には価値があるわけではない。たとえば「金」や「鉄」といった金属は、その物質自体に価値がある。土地は人々がどう活用するかで価値がきまる。誰も使わない土地には価値がなく、多くの人が利用したい土地には価値がつく。

そして、人間が利用したいと思うかどうかは、歴史的にその土地や周辺地域がどのように人々の生活や活動に利用されてきたかが影響を与える。

京都は1200年にわたる歴史の結果として都市が形成され、そこに人が住み、活動し、観光や教育の場となることで価値が生み出されてきた。東京は江戸幕府が置かれてからの400年にわたる歴史の結果である。

今、私たちがどの土地に価値を見いだし、どのように利用するかは過去の歴史的な都市の形成ときっても切れない関係にある。

これが、櫛田光男氏(日本不動産研究所初代理事長)が不動産の本質として解釈した「土地と人間との関係の体現者であり、その意味で文化的歴史的所産の一つである」と説明する所以と考える。

歴史を軽んじることは「今」が理解できない

不動産がこのように人々の歴史的活動の結果として価値が生まれ、活動の基盤になり、都市が形作られているならば、現在の活動は将来の都市のあり方にも影響を与える。

今を理解するためには、「過去」を知らなければならない。過去を知るには歴史的資料は絶対的に必要である。

歴史的記録を無き者にするということは、将来へのバトンを葬り去ることでもある。現代人は日々の活動の結果としてアナログ的、デジタル的に記録を残し続けている。それは「今」を積み重ねてきた証しでもある。

歴史を軽んじるということは、人々が積み重ねた記録を尊ばないばかりか、またそれは「今を生きる人々」の記録としても残らないことと感じる。

過去の記録というのは、何にも増して将来の人たちへの「生きるための手引書」であり、間違いを繰り返さないための「教訓」でもある。

刹那的な思考と時代の急流に飲み込まれがちな現代社会のなかで、歴史を見つめ、過去を振り返るための大切なものは残してほしいと切に願う。