2019/05/29 土地の見え方、人の見え方

今回は不動産鑑定評価の考え方を紐解きながら、「土地と人間との関係」を少し異なる視点で論じてみようと思います。

その参考として、日本不動産研究所の設立時に入所し、不動産鑑定評価に関する理論的な研究を行ってきた米田敬一(よねだ・けいいち)氏の著書で昭和47年(1972年)に発行された「地価ー土地は商品ではない(日経新書)」をもう一度読み返してみました。古い書籍ではありますが、高度経済成長からオイルショックを通じて不動産市場を見つめてきた米田の理論は今でも色あせることなく、鋭い視点で土地をとらえていることが印象的です。

「土地のこと」をもう一度考えてみましょう

私達が生活し、活動することができるのは土地があるからですね。土地がなければ、海に沈むか、空中に浮いていなければなりません。この「有り難い土地」の特徴を、不動産鑑定評価理論では自然的な特性と人文的な特性という以下の2つの観点から考えています。

自然的特性

土地は、同じもの(同じ場所には)は二つと無いという意味で、個別性が強く、天変地異が起こらない限り、そこにあり続けるという永続性、また動かすことができないという意味で固定しているという特性です。このような特性を、米田は次のように説明しています。

「土地は自然が生んだ自然物であり、人間が手玉にとって自由に所有するにはあまりに大きく偉大である。われわれ人間はこの自然物(土地)の上で生活し、相互にひしめきあい、にくしみあい、競争をしているのである。」

人文的特性

土地は、人間によって様々な用途に利用することができます(用途の多様性)。また、時代時代によってその利用方法は変化したり、場合によっては分割して利用したり、土地をまとめて大きな敷地としたりすることができます。つまり、時代時代の人々が連綿とその土地を利用し、農地や宅地として社会的に利用することで歴史的にも文化的にも変化しながら利用することができるという特性です。この特性を米田は次のように説明します。

「人間がある部分の土地を占有し、居住や労働の場として利用することになったのが、土地と人間との関係のそもそものはじめであった。土地の社会的な歴史はここに始まる。(中略)われわれが経済的、社会的に土地を論じるとき、利用方法によって二次的に擬制された土地の形態をいうことが多い。」

土地の見え方

この2つの特性について表現を変えるなら、自然的特性とは「唯一無二のかけがえのないもの」といえ、人文的特性は「時代によって、人々の考え方によって常に変化し、また同じように利用できる土地として代替可能」というように言えるでしょう。もし、土地を唯一無二のものに見える人がいるならば、その人は、その土地に対して強い思い入れがあるのではないでしょうか?たとえば「先祖が代々守ってきた土地」や「300年前にそこで創立した土地」という思いです。一方で、土地を代替可能に見える人ならば、「マンションにしたい土地」「家を建てたい土地」といった感じでしょうか?もちろんどちらが良いというわけではありませんが、不動産鑑定評価を行うためにはどちらの見方も必要になると私は思います。

土地の見え方、人の見え方

土地は上記のように、見る人によって「個性を見いだして、特別な意味を持つ対象」とする見方と「同じような(替わりのものがあって)機能があれば、特に対象自体にはこだわらない」という見方があるということになります。そこで私が感じたのは、現代社会では土地を前者の「特別な意味を持つ対象」として見るよりも、後者の「機能(用途)が同じで、能力(収益力)があればこだわらない」という見方が強いのではないか?ということです。そして、それは土地と人間との関係という意味では、人間そのものにも当てはまる気がしたのです。

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人に当てはめれば・・・

人は、生物的あるいは人格的にみれば、同じ人は二人といない、唯一無二の存在です。育ちも考え方も身体的特徴も全く同じ人間はいません。しかし、社会的・経済的に見るとどうでしょう?業種や職種、働き方に違いはありますが、その人だけしか働けないというものは芸術家くらいではないでしょうか?つまり、人も土地と同じように「個別性(特別な存在)」という見方と「機能性や代替可能(そこには名前がない労働者)な存在」という見方があるように思えます。

人を尊重することと同じように土地も尊重する

不動産鑑定評価とは、対象となる土地を単に「儲かるか、儲からないか」とか「人気があるか、無いか」だけで判断するのではなく、その土地を含めた地域の成り立ちや、その地域における人々の生活や歴史、すなわち人と土地の関わり合いを踏まえながら価値を見い出すことであると思います。人に人生があるように、土地にも長い時間をかけて人々が手を入れ、その土地にあった利用をくり返した結果があります。この部分を軽視するということは、人に例えれば、他人を「労働力(収益獲得力)」「代替可能な部品や機能」としか見ないことと同じではないでしょうか?

歴史を重んじる、土地と人間との関係を尊重することが、他人を単なる労働力や機能として見るのではなく、「一人の名前を持つ人間」として見るということにもつながるのではないか、と感じます。

「個人」が軽視され、ますます人が「部品」と見られがちな現代社会だからこそ、そこで暮らす人々を尊重することが、土地や地域の豊かさを実現することなのではないかと考えます。(幸田仁)