第38回 岐阜

岐阜市における地価一番地の変遷 柳ヶ瀬の栄枯と盛衰 ~ ああ柳ヶ瀬の夜に泣いている

第38回にっぽん「地価一番」物語 ~全国の中心市街地はいま~ 
住宅新報2011年1月11日号(14面)掲載
日本不動産研究所 岐阜支所
不動産鑑定士  西村  隆

県都岐阜市は、木曽川・長良川・揖斐川の三大河川の沖積土によってできた濃尾平野の北部に位置し、戦国時代から城下町として栄え、明治4年の廃藩置県、同22年の市制施行を経て県庁所在地として今日に至っている。人口は約42万人で、ここ数年は横ばい傾向にある。

岐阜市内の中心商業地区は、「柳ヶ瀬地区」と「岐阜駅前周辺地区」である。
かつての地価一番地は「柳ヶ瀬地区」であったが、現在は「岐阜駅前周辺地区」にその地位を譲っている。

大ヒット曲で全国区に

「柳ヶ瀬地区」

美川憲一の昭和41年(’66)の大ヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」でその名を全国区とした柳ヶ瀬地区は、戦前より百貨店、飲食店、映画館等が建ち並び、昭和35年(’60)にはアーケードも完成し、日曜祝日など休日ともなれば娯楽を求めて繰り出す老若男女で肩がすれ違う様な混雑ぶりで、最盛期には約5000店舗を擁する大歓楽街であった。

バブル絶頂期の地価は、売り希望価格で坪3,000万円(㎡当たり900万円)まで上昇したと言われている。
しかし時代の波には勝てず、平成に入ってからは、郊外型店舗の立地による中心商業地空洞化の波を受け、徐々に陰りが見られるようになった。
柳ヶ瀬の東西両端に立地していた百貨店も、岐阜近鉄百貨店(昭和5年(’30)創業の百貨店丸物が前身で、昭和52年(’77)に岐阜近鉄百貨店に変更)が平成11年(’99)に閉店し、現在は岐阜高島屋(昭和52年(’77)開業)が市内唯一の百貨店として孤軍奮闘しているに留まる。
現在の柳ヶ瀬は、空き店舗が目立つ寂しい商店街となっており、往時の面影を垣間見ることはできない。

 


柳ヶ瀬地区アーケード街入り口付近。人通りもまばら

「岐阜駅前周辺地区」

岐阜駅前周辺地区には主要ターミナルとしてJR東海道本線「岐阜駅」と私鉄名古屋鉄道(以下名鉄)「名鉄岐阜駅」が約200m程離れて立地している。昭和までは名鉄の利用者が圧倒的に多く、名鉄岐阜駅舎内には新岐阜百貨店が、また駅周辺には岐阜パルコ、ダイエー、小売店舗等が連たんし、かなりの賑わいを見せていた。一方、JR岐阜駅の北側は繊維問屋街が広がっていたが、雑然とした感が否めず、概して一般市民が集う地区ではなかった。しかし、国鉄からJRへ民営化されて以降、駅舎の整備、運賃・所要時間・運行間隔の改善等のサービス向上を図り利用客の獲得攻勢を強めたことにより、バブル崩壊後は徐々に両駅の相対的な位置付けが変化し、現在の最高価格地はJR岐阜駅前に移動している。


岐阜駅前周辺地区。最も賑わうJR駅北口地区。

 


かつて最高価格地点があった名鉄駅前地区。空き地も目立つ

 

公示地にみる最高価格地の変遷

 最高価格地は、平成元年(’89)を境に「柳ヶ瀬地区」に位置する公示5-1から「岐阜駅前周辺地区」に位置する公示5-5に移動した。その公示5-5も、平成18年(’06)までは名鉄岐阜駅前にあったが、平成19年(’07)にJR岐阜駅前のビルに選定替され現在に至っている。

今後の展望

バブル絶頂期の「柳ヶ瀬地区」の公示地価は、5,200千円まで上昇したが、平成22年(’10)の公示5-1の公示地価は255千円と約20分の1まで下落した。同様に「岐阜駅前周辺地区」の公示地価は約10分の1まで下落している。

大都市圏においては、バブル絶頂期からの地価下落が半分~約4分の1程度に留まっていることを考えれば、他の地方都市と同様、県都岐阜市も経済的な地盤沈下に直面していることは否定できない。
危機感をもつ岐阜県や岐阜市が内需の拡大、地域活性化を進める中、不動産についても、岐阜駅前周辺地区、柳ヶ瀬地区の再開発計画等長期的な事業、整備が進められており今後の発展も期待されるが、その道のりは決して安易ではない。

(次回の第39回:にっぽん「地価一番」物語は『津』)

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