第1回 大阪

商業のまちに多彩な顔 ~キタ、ミナミに加え天王寺も~

第1回全国まち・住宅・不動産 ~話題のスポット~ 
住宅新報2011年4月26日号(18面)掲載
日本不動産研究所 近畿支社
不動産鑑定士 山田 浩ニ

人口・世帯数は増加傾向

大阪は江戸時代まで「大坂」と表記されることが多かったが、明治に入り「大阪」と書かれるようになった。一説には「坂」の字が「土に返る」との意味があるのを忌み嫌い、明治に入り「阪」の字を使用するようになったとの説がある。
このような大阪は古代から歴史に登場し、特に大阪市内中心部に位置する上町台地では、飛鳥時代・奈良時代には難波宮がおかれ、安土桃山時代には豊臣秀吉が大坂城を築城、その後、江戸時代に経済都市として発展していく礎となっていく。ちなみに当地は、現在では大阪城公園として開放されており、大阪市民の憩いの場であるほか、多くの観光客で賑わっている。
ところで下図は平成7年(’95)以降の大阪府の人口・世帯数の推移で、人口は概ね微増、世帯数は増加傾向を示しており、核家族化、単身世帯の増加が見られる。この背景として、大阪市内中心部を中心に地価が下落した結果、住宅でも採算が取れるようになってきたことから、大阪市中央区や西区でワンルームマンションが特に増加した。今後、事務所とワンルームの家賃水準が同等の地域(共益費込坪1万円を切る地域)では、事務所用地から住宅用地への転換が進んでいくものと考えられる。


出典:大阪府ホームページ

大阪は商業の町として発展してきたことから著名な住宅地は多くないが、その中でも戦前では堺市西区「浜寺」や大阪市阿倍野区・住吉区「帝塚山・北畠」が有名であった。現在でも幼稚園から一貫教育で有名な帝塚山学院周辺では大きな屋敷が見られる。また、戦後の高度成長期には大阪府下の各所で住宅団地開発が進み、その中でも昭和30年代後半に開発が始まった大阪府北部の千里ニュータウンや南部の泉北ニュータウンが有名である。その千里ニュータウンも街並みが形成されて約40年が経過し、4~5階建の分譲住宅や賃貸住宅は余剰容積を利用した団地の建て替えが見られるなど、街の再生が始まっている。ちなみに現在の関西では阪神間(大阪~神戸間)が高級住宅地として人気があり、住宅地の需給関係の変化もいち早く現れる。したがって、地価回復時にはまず阪神間から地価が回復し、その後大阪湾を時計回りに地価が回復する傾向が見られる。

新しい施設 続々と

これらの住宅地はキタやミナミの繁華街にあるターミナルから地下鉄やJR・各私鉄が通じており、通勤の足として利用されている。ところで、これらのターミナルでは商業施設の開発が盛んであり、特に、キタの大阪駅(梅田駅)では、JR大阪三越伊勢丹の新規開業、大丸梅田店の増床、阪急百貨店の建て替え工事が進んでいる。ミナミでは、難波・髙島屋の増床、心斎橋ではユニクロ日本初のグローバル旗艦店の開業、また、第三の街として、天王寺にあべのキューズモールの誕生など、大阪の街は今大きく変貌しつつあり、これら商業施設は今後新しい大阪の顔として一層の発展が期待されている。

大阪駅


中央の大屋根が大阪駅で隣接して駅ビルが建てられている。

 


ノースゲートビルディング2階付近


ノースゲートビルディングから見た開発中の北ヤード

 


新設された大阪駅の大屋根と中央通路

(次回の第2回:全国まち・住宅・不動産 ~話題のスポット~は『大津』)

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