第18回 千葉(我孫子)

自然との共生を運命とするまち我孫子 ~文化漂う手賀沼湖畔~

第18回全国まち・住宅・不動産 ~話題のスポット~ 
住宅新報2011年8月30日号(16面)掲載
日本不動産研究所 千葉支所
不動産鑑定士 佐藤 修

大震災翌日の事

 東日本大震災の翌朝、大きな被害があったとは予想せずに我孫子市職員に業務の電話をしたところ、返答は意外にも「それどころではない、市内の震災被害対応で大変だ!」だった。震源地から遥か彼方の内陸部の都市において何故?それは、明治時代に利根川の大洪水により溢れ出た水が低地に溜まってできた沼を埋め立てた地域で、今回の大地震による液状化被害が特に甚大であったのだ。災害予知の難しさを示す結果でもあった。

我孫子市における自然と人の関係

 地域の不動産事情紹介として、自然との共生を考えさせる我孫子を取り上げたい。我孫子市は県マスコットのチーバくんの横姿(千葉県の形に酷似)の鼻の付け根あたりに存する、人口約14万人の都市で、利根川と手賀沼に囲まれた市域であり、昭和40年代からの東京圏の急激な人口増加によりベッドタウンとして発展した。昔からの2大水域による自然の恵みと天災により、この地域は形作られた。今や手賀沼の東部には広大な新田が広がり、鳥たちが囀り舞う新田園風景が目に眩しいものの、この干拓の計画は江戸時代からあった。人々の干拓への努力も天災による被害を重ね、明治、大正を経て、完成は昭和43年(’68)にまで下った。こうした埋立事業に永年にわたり尽力した井上家の古民家が国の登録文化財として威風を示している。
 当市の一番を探せば、手賀沼が水質汚濁の王座を永年占めていたことが挙げられるが、最近は水質改善の努力によりワースト10の圏外が定席のようである。ちなみにあのディズニーランド誘致に手を挙げようとした形跡もあり、実現すればばどんな異空間が出現していただろうか。
 当市の縁者には、志賀直哉等の白樺派の文士たちが別荘、居宅を構え、柔道の嘉納治五郎、民俗学者柳田國男、裸の大将山下清らも名を連ねる。今年秋、当地の文化的な偉人である杉村楚人冠(そじんかん)の旧宅が整備・公開される。楚人冠は、ジャーナリストとして新聞の近代化に大きく貢献し、随筆の名手として知られ、当地の素晴らしさを筆により伝え、地元の人にも俳句を指導して愛された。また、愛する手賀沼の風景を破壊する上記干拓事業に反対し、その実現を遅らせた張本人でもあった。

水と土地と人のハーモニー

 海から陸へ、川から沼へと地形が変化し、そこに住まい、生産活動を行う人々の想いと汗がこの都市には刻まれている。現在、農地の価格は低下の一途であり、宅地は地震による被害も生じ、放射線の影響も注視が必要な状態にある。多くの懸念があるが、手賀沼の畔の公園、水の館、鳥の博物館等で学ぶ子供の姿を見ると、この街には、失われたものをもう一度取り戻し、未来に残そうという意志を強く感じる。そして旅人の目でこの土地を歩くと、そこかしこに小さな季節や昔の日本の姿が息づいており、つい拙い一句でも詠いたくなるまちなのである。 手賀沼や土地ひと濯ぐ秋出水


志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した書斎(復元)

 


手賀沼と白鳥の群れの先に我孫子市内方面をのぞむ

 

(次回の第19回:全国まち・住宅・不動産 ~話題のスポット~は『さいたま』)

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