第17回 宮崎

「神話の国」の”新しい県都”~注目は西口拠点整備事業~

第17回にっぽん「地価一番」物語 ~全国の中心市街地はいま~
住宅新報2010年7月27日号(12面)掲載
日本不動産研究所 宮崎支所
不動産鑑定士 西村哲治

地価はピーク時の16%

宮崎県は「神話の国」である。神武天皇が大和に東征するまでの間、宮崎の地に居住していたという伝承が多く残っているほか、「古事記」や「日本書紀」で数多く日向神話が語られている。

歴史的に由緒のある宮崎県ではあるが、県都「宮崎市」の中心市街地は明治初期以降約1世紀の間に形成されたもので、他の県庁所在都市に多く見られる、旧城下町として発展してきた都市と比較すると、その歴史は浅い。

廃藩置県により「宮崎県庁」が設置された後、県庁の周辺地域から徐々に市街化が進展。第2次世界大戦末期の大空襲によって、市の中心市街地は一面焦土と化したが、終戦復興都市計画事業により現在の基盤が整備された。また昭和27年(’52)と同31年(’56)には、宮崎駅前の高千穂通と橘通の交差点に百貨店が相次いで開業。

以降、同交差点付近が宮崎市内で最も地価が高い地域として広く認識されるようになった。

今後、注目される動きとしては、宮崎駅西口拠点施設整備事業がある。宮崎駅西口駅前は、駐車場として暫定利用されてきたが、ここに現在、ホテルやバスセンター、商業施設などで構成される地上14階建て複合施設の建設が進められ、平成23年(’11)秋には完成の予定だ。

内の地価公示地点の中では、前述の交差点に近接する標準地(宮崎5-1)が最も地価が高い。ここで昭和49年(’74)以降の標準地1㎡当たりの価格推移を見ると、昭和58年(’83)ごろまでは50万円前後で、概ね安定的に推移。その後、地価上昇が続き、平成3年(’91)には245万円と最高値を付けた。

しかし、不動産(写真)宮崎駅前の高千穂通りと橘通りの交差点付近バブルの崩壊や、中心市街地の空洞化の進展などから、標準地の1㎡当たり価格は一貫して下落基調が続いている。

 

 


(写真)1932年に建設された県庁舎本館
現在は県内有数の観光スポットに。


(写真)宮崎駅前の高千穂通りと橘通りの交差点付近

 
平成18年(’06)には、昭和49年(’74)当時の価格であった50万円を割り込んだが、平成22年(’10)1月1日時点の同標準値の価格は38.5万円である。昭和49年(’74)以降最も低く、ピーク時の価格比で約16%の水準にまで価格下落が進んだ。

口蹄疫被害からの脱却

畜産業が主要な産業のひとつに数えられている宮崎県。今年(’10)4月に1例目の感染疑いが確認されて以降、爆発的なスピードで口蹄疫による感染が拡大。7月中旬の時点で県内で殺処分された牛や豚は、約30万頭にも達するとも言われる。農家にとっては経済面だけではなく精神面の負担も大きくのしかかった。

県の非常事態宣言を受け、イベントや大会などが軒並み延期され、図書館など公共公益施設が閉鎖された。影響は県民生活全般と県内のあらゆる業種に及んでいる。経済的には県民の購買意欲は減退傾向が続き、中心市街地も人通りが極端に減ったとの声もあるなど、その被害・打撃の大きさは、計り知れないものがある。

小売店舗の売上減少傾向などで、地価動向への影響も今後懸念され、下落傾向に追い打ちをかける可能性も否定できない。だが、それ以前に、県内の各種産業に大きな被害を及ぼした口蹄疫被害の一日も早い終息と、そこからの脱却を願うばかりである。

(次回の第18回:にっぽん「地価一番」物語は『大分』)

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