2019/12/25 買い物が楽しかった時代 ~相次ぐ店舗閉鎖から取り戻すべき買い物の心~

みなさん、こんにちは。日本不動産研究所の幸田 仁です。

最近、大手企業を中心とする店舗が続々と閉店しています。今回はこの店舗閉店を題材に、私達が買い物をすることの意味を考えてみたいと思います。

この1年における店舗閉鎖

2019年1月以降、百貨店や飲食店、衣類販売店、コンビニエンスストア、金融機関の支店閉鎖や閉店に関するニュースが相次ぎました。特に地方都市での大型百貨店の閉店や、全国展開しているコンビニエンスストア、飲食店などの閉鎖が目立ちました。正確な数字ではありませんが、ニュース等からまとめた閉店店舗数は以下のとおりです。約2,000もの店舗が閉店(あるいは予定)し、その理由の多くは売上や業績の低迷、顧客の減少によるものです。

業  種 閉鎖(計画)店舗数

業種別閉鎖(計画)店舗数(2019年)

コンビニエンスストア 約1,200
金融機関 約200
大型商業施設(百貨店含む) 24
物販・飲食店舗等 約540
合計 約1,964

最近見ることが少なくなった店舗

2000年以降のIT革命や、スマホの普及、電子書籍やネットゲーム、SNSの爆発的な人気は、人々の日常生活の買い物行動にも影響を与えていることでしょう。大企業は多くの業種で規模のメリットを生かすために多店舗展開を進めてきました。中でも書店、中古ゲーム・レンタルDVDショップ、リサイクルショップなどは、かつては中小企業や個人経営も多く見られましたが、現在では一部の全国展開をする大手企業以外には、ほとんど見られなくなったのではないかと感じます。

閉店したある写真店の思い出

かつて、私がまだデジカメを持っていなかった頃、撮影したフィルムの現像を近所の夫婦で経営している写真店にお願いしていました。写真の現像(念のため、現像とは撮影したフィルムを写真にすること)には申し込みと、受取日を確認したのち数日待ってから、仕上がった写真を受け取りに行くことが必要です。受け取り時には、現像した写真の中身を確認することになるのですが、私も家族や小さい子供の写真が多かったため、お店で待っている間、あるいは受け取る際に、子供の成長や旅行の感想などの話題で会話が弾むこともありました。

そんなお付き合いをしている写真店の奥さんが、急な病気で亡くなってしまいました。私達家族も大変ショックでした。その後、ご主人は以前と比べると心なしか元気がなく、聞けばフィルム写真の現像依頼が少なくなっているとのことでした。何よりも奥さんが亡くなったことが大きかったと思いますが、ちょうどこのころ、デジカメやカメラ付き携帯電話の普及で、お店にはSDカード等での現像を依頼する機器が設置されていました。現像依頼は売上の減少に直結しますから経営も段々と厳しくなっていたことでしょう。

そして数年後、その写真店は閉店していました。あのご主人は今何をしているのかな?と今でも考えてしまいます。

失われた買い物の楽しみ

現代社会では、仕事でもプライベートでも人と人が直接会話することよりも、ネットを通じたSNSやメッセージなどの文字と画像によるコミュニケーションが中心になっていると感じます。また、スーパーマーケットやレストラン、大型商業施設でも、店員や店主との会話を楽しみながら買い物をする機会はほとんどなくなってしまったのではないでしょうか?

都市社会学者、磯村英一氏の言葉

磯村氏は、都市社会学研究者として活躍され、1953年に東京都庁退職後、東京都立大学教授から名誉教授、そして東洋大学学長を歴任された研究者です。磯村氏の論文や寄稿は弊所の「季刊 不動産研究」にも多数収録されており、社会学という視点からの論説は現在でも通じるほか、昭和40年代の寄稿の中には、現在の社会状況を見通すような主張が多数残されています。

テーマ”人間再開発”

昭和40年(1965年)の不動産研究第7巻第1号には、磯村氏の「社会開発における人間再開発の課題」という論説が掲載されています。その中で、磯村氏は当時の国際社会で議論されていた”社会開発"を題材として、「開発」について論じています。

「開発という言葉は、均一的なものの中に収めようとしており、均一な施策によることは人間の意識的平等感を強制してしまう。画一的な団地開発や都市開発によって、鉄やコンクリートで枠をはめるということは、「人間の盆栽化」でもある。都市が人間にとって快適になるためには、個人が希望や目標に向かって成長する環境であり、家庭や家族単位で施策を検討することであり、小学校などを中心とした上下関係の無い共同意識が持てるような共同体を中心に社会開発を担ってもらう施策をとるべきだ」(筆者の要約による)

買い物は「わくわく感」が必要

均一化された社会、画一化された商品、会話のない買い物、テンプレート化された顧客対応と反応しない消費者。これが現代の買い物スタイルではないでしょうか?そこには「会話が弾む」という現象は起きません。売り手も買い手も、いつも通りの想定内の一連の作業として成立しているかのようです。均一化、同質化された社会では、異質なモノや価値観の異なる人間に対して違和感や嫌悪感すら憶えます。いつもどおりであることが安心を支えているのです。

私は思います。買い物は楽しみであり、未知との遭遇であり、知識や知恵が得られる場だったのではないかと。買い物は「わくわくする体験」だったと思うのです。買い物を楽しむことは、生活を楽しむことにつながり、これが希望や目標へとつながります。これは磯村氏のいう人間再開発にも通じるのではないでしょうか。

再び買い物の楽しみを取り戻すために

日本経済を支えている個人消費が近年は停滞傾向にあります。消費活性化策として日本政府も様々な施策をとり、いわゆる「成長戦略」に向けた取り組みを続けてきましたが、眼に見えた効果はまだ出ていないように思えます。大企業を中心とした多くの店舗閉鎖は、どのような理由にせよ、消費者の足が遠のいたことが理由だと思います。

これからのお店に期待することは、「商品やサービスを通じて顧客がわくわくしたり、楽めるお店であること」です。これまでのような「流れ作業的買い物」ではなく、店主や店員と顧客が会話を楽しみ、商品を介した交流を通じてお互いに成長しあえるような買い物ができるお店です。そういうお店が増えたとき、懐かしいけど新しい「まち」が登場してくるだろうと考えます。(幸田 仁)