About JREI

沿革

不動産の総合調査研究に携わって58年。

旧日本勧業銀行は戦前より不動産金融を扱う特殊銀行として、不動産に関する各種調査および鑑定評価などの活動を行っていました。昭和25年、普通銀行への転換によってそれまでの鑑定評価業務は銀行業務上で扱う必要がなくなりましたが、不動産の鑑定評価に関わる各種の業務を継承していく機関の設立や、当時、国レベルでの課題としての公共用地取得問題に伴い、不動産鑑定評価制度の確立が叫ばれました。そして昭和34年、不動産の総合調査研究機関として誕生したのが、私たち日本不動産研究所です。

以後、日本不動産研究所では、調査研究、鑑定評価、コンサルティングと、時代のニーズに応えて事業を拡大。今日では、約550人の人員と全国的なネットワークを築いています。不動産の現在を的確にとらえ、そして日本全国および海外において、未来を築いてゆくためのさまざまな事業を展開しています。

JREIの先覚者たち

初代会長・渋沢敬三と初代理事長・櫛田光男

初代会長・渋沢敬三(左)
初代理事長・櫛田光男(右)

「不動産、殊に土地は、人間にたとえれば植物性神経のようなもので、だれでも生まれてから死ぬまでそのご厄介になりながら、つい粗末にしがちで、いざとなって大騒ぎをする……」(初代会長・故渋沢敬三翁の言葉)

長期で低利な資金の貸付けによる殖産興業のために設立された日本勧業銀行は、戦後の占領政策により特殊銀行から普通銀行に転換し、不動産に関する各種の調査、実証的研究、鑑定評価活動は、銀行業務上必要がなくなってしまいました。

永年にわたって築き上げた不動産研究機能の自然消滅を憂慮した当時の同銀行頭取堀武芳(後に日本不動産研究所2代目会長)は、新しい不動産研究のための機関の設立を構想し、官民有識者から賛意を集めます。いよいよ設立準備が整ったとき、堀は初代会長を渋沢敬三(元日銀総裁、元大蔵大臣)に依頼します。そして、理事長としては「この人をおいてほかになし」との意見の一致から、櫛田光男(元大蔵省理財局長、前国民金融公庫総裁)を渋沢自らが説得。意欲的な研究家であり、日本の土地問題の深刻さを承知していた櫛田は、1週間考えぬいた末、理事長就任を受け入れました。

かくして、会長渋沢敬三、理事長櫛田光男、常務理事落合新六(元日本勧業銀行取締役)の首脳人事のもとに、総務・研究・鑑定の専門家によって編成された日本不動産研究所が昭和34年3月2日に業務を開始しました。

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