都市資産など周辺への配慮(日照・風致・眺望・街並み景観)

Vol5.2 東京・新宿 都市資産、御苑・外苑の環境・景観に配慮したまちづくり

Vol5.2 東京・新宿 都市資産、御苑・外苑の環境・景観に配慮したまちづくり
場所柄ふまえたマンションの建替え

東京藝術大学美術学部建築科 講師 河村 茂 氏 博士(工学)

4.7 UPDATE

都市資産など周辺への配慮 日照・風致・眺望・街並み景観

高さ制限が阻む建替え 超高層から中高層へ

 そうした行政とのやりとりがあって一年ほどが過ぎたある日、住人が新聞を開くと、「新宿区絶対高さ制限導入」という記事が目に飛び込んできた。住人はあわてて詳しく調べると、この地は高さ30mの制限区域に指定されるという。それでは超高層どころではない、高層化すら危うい。「116mの計画に対し30mでは話にならない。」と住人は頭を抱える。「とんでもないことになってきた。」総合設計の検討を進めていた設計事務所の所長は、この頃、総合設計の適用を前提に都の景観部門に日参していた。しかし、ここでも厳しい指摘をうける。それは国会議事堂の後ろ側に議事堂を見下ろすようにして姿を現した超高層オフィスが、新聞で叩かれたことに端を発し、都内の主要なビューポイントにおける眺望景観の保全が緊急の課題となり、こちらにも火の粉が飛んできたからである。

  東京都は、この事態を重くみて新聞で叩かれたのを機に、東京に残された貴重な建造物の背景景観を保全する方向へと舵を切る。そして保全対象の一つとして、東京一美しい風景として多くの市民に親しまれている神宮外苑の銀杏並木、その奧に控える絵画館が選定される。この地の景観保全にあたっては、青山通り側に視点場を定め、そこから絵画館の眺望を確保するべく、ビューコン方式で景観を阻害する建物の出現を規制する方法がとられることになった。このため御苑の脇に本件超高層マンションが建つと、丁度、絵画館の真後ろに、その姿を現すことになり、銀杏並木と一体になった絵画館の眺望景観が阻害されてしまう。

 行政との事前相談に臨んだとたんに、国民公園・新宿御苑の風致との調和、また30mの高度地区絶対高さ制限の導入、さらには絵画館の眺望景観との整合等々の問題が浮上し、この地は一挙に超高層マンションの立地が相応しくない場所ということになってしまった。「このままではマンションの建替えができなくなってしまう。」と、危機感を募らせた住人らは、自らの生命と生活また財産の保全をめざし決死の動きに出る。住人が、何とかマンション建替えでまとまっていたのは、「負担なしに建替えができる」つまり大きなマンションに建替え、これにより生じた余剰床を処分することで建築費を生み出し、自分たちの持ち出しを「ゼロ」にするプランだったからである。

 ところが「総合設計制度を活用した超高層化はままならぬ」ということになってしまった。超高層どころか高さは原則30mに抑えられかねない。住人は、これでは永久に建替えができなくなってしまうと考えた。なぜなら、この地は日影規制の対象区域に指定されており、そのため建物をタワー状にして高層化しないと、北側に基準以上の日影が落ちてしまい容積率を活用できないからである。床面積を多く確保するには、建物をタワー状にして高層化する必要があった。ずんぐりとしたものでは、日影規制の関係で床面積を確保できない恐れが強かった。絶対高さ制限の導入、そして御苑・外苑絡みでの行政のつれない反応に困惑した設計者は、住人らと今後の対応を検討、絶対高さ制限の導入に反対するとともに、マンション建替えによる生活再建に向け、新宿区や東京都など関係方面に陳情を繰り返し行うことになる。

■神宮外苑
 原宿駅に隣接する山手線外側の明治神宮内苑に対し、山手線内側を神宮外苑と呼ぶ。敷地全体は明治神宮が管理しており、神社敷地の一画と見なされている。この内苑と外苑とを連携させるため、1928年に中央線沿いに内苑の北参道口と外苑の国立競技場との間を結ぶ「裏参道」が、乗馬道(その後、遊歩道、今は首都高速新宿線)として整備された。もちろん「表参道」は、これより以前の1920年に整備されている。
明治神宮外苑は、明治天皇とその皇后・昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるため、全国国民からの寄付金と献木、また全国の青年団団員による勤労奉仕(約10万人、延べ100万人)により造営されたものである。1915年6月、明治神宮を造営するにあたり、広く国民から献資を募るため明治神宮奉賛会(会長徳川家達、会員94,248名)が結成された。募金の目標額は当初450万円であったが、約700万円もの資金が集まった。これに御下賜金と利子等を加えると813万円に達した。

 なお、外苑敷地の一部には、この外苑造営に勤労奉仕した全国の青年団員が、さらに一人一円を出しあい、彼らの活動を記念して日本青年館が建設される。

 この地は、それ以前は青山練兵場で、明治天皇の遺徳を偲ぶ記念公園構想を受け「明治天皇の業績を後世に継承しよう」という目的で、近代化の方向に沿って洋風庭園として整備された。外苑施設の中心は絵画館で1926年に竣工、中央部にはドームをあしらうなど、この地の象徴的な施設となっている。内部には、近代明治創建を導いた明治天皇にまつわる、幕末・明治期の政局を描いた絵画を中心に80枚ほどが展示されている。
外苑は、絵画館の他に、国民の体力の向上や心身の鍛錬の場として文化スポーツ普及の拠点とするべく、憲法記念館(現明治記念館)などの記念建造物、そして陸上競技場(現国立競技場)・明治神宮野球場・相撲場などの施設が造営された。明治記念館は今日、結婚式場として有名だが、この敷地内には伊藤博文らが大日本帝国憲法を起草した建物も残されている。

 外苑の造園にあたっては、明治神宮造営局の主任技師・折下吉延(宮内省苑寮技手として新宿御苑等に勤務)が腕をふるい、この広大な外苑敷地に聖徳記念絵画館を中心に多くの樹木を植栽した。特に、青山通りから絵画館へと至る幅員約33m延長300mの通りに、9m間隔で配置された銀杏並木(146本。その種子は新宿御苑のものを用い、代々木御料地で育てられたものを植栽した。)は、今日、東京を代表する並木道として知られ、青山通りから絵画館を望むビスタの形成には西洋の透視図法が取り入れられ、絵画館に近づくに従い銀杏の木が少しづつ低くなるように設計されている(現在、高さは最高28m、最低17m)。この設計技法は遠近感を強調、皆の視線が中央の絵画館に集まるように仕組んでおり、実際、銀杏並木と絵画館が美しいパースペクティブを描き出している。これらの風致を維持するため、神宮内苑等も含め274㏊が風致地区※1に指定されている。

 外苑施設は、創建から終戦までは国の施設として管理されてきたが、1926年10月に宗教法人明治神宮のもとに移され、ここで独自の事業収入を得て諸施設の管理運営が行われることになった。ただし、銀杏並木のある並木道は東京都に、また国立霞ヶ丘競技場は東京オリンピック開催の際に文部科学省に、それぞれ移管された。

※1 神宮外苑風致地区(第二種)制限
 建ぺい率40%以下 壁面後退距離は道路側2m以上、その他1.5m以上、最高高さ15m以下、建築物の位置、形態及び意匠は「建築敷地及びその周辺における風致と著しく不調和でないこと」

※2 新たに誕生する最新鋭の競技場
 国立霞ヶ丘競技場は、1964年東京大会のオリンピックスタジアムであり、神宮の外苑内に位置しており、2019年迄に最新鋭の競技場に生まれ変わる予定である。2020年大会では、開・閉会式、陸上競技、サッカー、ラグビーの会場となる。この8万人収容のスタジアムは日本スポーツ振興センターが所有し、2019年のラグビーワールドカップをはじめ、サッカーの国際試合や陸上競技の日本選手権など文化・スポーツ関連のイベントに使用される予定である。なお、この神宮外苑地区(64.3ha)は、新宿区の高度地区絶対高さ制限により建築物の高さは30m以内に制限されているが、再開発等促進区型の地区計画が策定されたことをうけ、地区計画の特例措置が適用され国立競技場エリアなどは、高さ75m制限などとなっている。

絶対高さ制限と日影規制の例外許可 生命と財産の保全、居住継続の視点

 この老朽マンション建替えに向けた動きを、行政側もただ見守っていたわけではない。皆の納得のいく建替えに向け東京都と新宿区との間で協議が進められていた。これまであまり例はないが実態をふまえ、ここはきっちり環境性能を評価し、制度の目的・趣旨に沿った法運用を行うことで一致していた。行政がそういう動きになったのも、住人に建替えに向けての必死の働きかけ(熱意)があったればこそである。

 即ち、実態面において住宅地の居住環境の悪化につながらないのであれば、日影規制の許可による対応も考えようということになった。この案件の場合、老朽マンションということで防災面からも対応を迫られており、区も区民の居住継続は何にもまして優先させなくてはならないと考えていた。また、本件計画の場合、建替えにより質のよい住宅が供給され、新しく住民も増えることになるので、建替えには積極的な対応が求められた。

 また、絶対高さ制限も所構わず画一的に規制すればよいというものではなく、市街地環境の整備改善に向け地域の状況や建築計画の内容などに応じ、適確な運用が求められる。例えば、大規模な敷地については、場所柄や建築計画により、特例措置を講じ一般的な規制を解除して誘導していくことも大事な対応の一つとされた。

 本件に関係し、関係者の考え方を探ると、それらの特例措置を執ることに異議を挟む者はいなかった。行政の役割は法制度を適確に運用し、広く民の生命や健康の確保また財産の保護を図り公共の福祉の増進につなげていくことにある。ここで難しいのは、そうした観点からとられる施策相互、異なる価値同士がぶつかり合い対立した場合である。しかし、逆にいうと、ここが行政本来の腕の見せ所であり、法制度の運用の妙味でもある。こうした状況下における行政対応の要諦は、関係者が「ま、そんなもんだ。」と納得するよう、バランスよく対応することであり、世間の批判なく問題を着地させることにある。

 今回の高さ規制の適用においては、内藤家のDNAを綿々と継承している敷地北側の、地区計画がかかる低層住宅地の居住環境への影響や、高度地区絶対高さ制限30mへの対応、そして新宿御苑の景観風致との調和、また景観条例による外苑・絵画館と銀杏並木の眺望景観の保持との整合という、いくつかの異なる要請を同時に達成するという、かなり難しい調整が求められた。住人にしてみれば、「これらの規制をみな守っていたら保留床なんて出てこない、建替えは不可能だ」ということで、区には絶対高さ制限導入に反対の意向を伝えていた。「区民の生命と財産の保全か、まちの環境や公園風致の維持増進か」「区民の居住継続か、都市の眺望景観か」で揺れた。住人は必死で様々な関係者に働きかけを行っていった。

 そんな住人の必死さもあり、都や区も法制度の運用にきめ細かく丁寧な対応を行うことになり、異なる価値相互の間を関係者協議により慎重に調整していった。結果は、絵画館前の銀杏並木からの眺望の確保を前提に、青山通りから見て建物は絵画館の後ろに隠れるようにすること、また敷地北側の地区計画がかかる低層住宅地に対する日照など居住環境に与える影響について実態を確認の上、一定限度以上に悪化しない形態・規模の建物へと誘導すること、さらに隣接する御苑の風致や地域の環境・景観にも留意し、御苑の景観風致を乱さない範囲の規模・形態・意匠をもつ建物へと誘導することになり、そのため高度地区絶対高さ制限については、大規模敷地の特例(制限値の1.5倍まで緩和)を適用し最高高さ45mまで緩和すること(計画建物高さは42.3m)、また日影規制についても機械的に適用するのではなく、居住環境に支障が出ない範囲で、建築審査会の同意等を得て例外許可することになった。

 こうした考え方に沿って設計者サイドでも、建築物の規模・形態等に工夫を重ねていった。逆日影図を描き、そこに描き出された輪郭の中に、この建築物を平面計画上も合理的に収めるべく試行錯誤を繰り返し、結果、流線型のフォルムをもつ建築形態となっていった。四角い箱型の建物より、この方が御苑や近隣の街並みに融け込み景観風致上も馴染みが良い。また、これをうけ平面計画もマンション住人の要望に応じ、専有面積が伸び縮みできる三日月型の廊下プランとなった。災い転じて福となすである。このように関係者が協議を重ね、きめ細かく対応していくと、いいものができあがる。

参考1 高度地区絶対高さ制限
 1960年代、市街地の建て詰まり状況を打開するため、絶対高さ制限が廃止され容積率制へと移行した。そして共同化とあわせ総合設計制度に代表されるブラザ&タワー型の建築物(大規模な敷地で効果を発揮する)が推奨されてきた。しかし、時は流れ総合設計に準じた高さ制限として天空率方式が導入され一般化、中小規模の敷地にも適用されたため建築物の高層化が一段と進み、各地で建築紛争が続発している。

 この動きに対応するとともに、成熟期の社会的要請である「環境や景観の整備」に応え、土地の高度利用との間に折り合いをつけるべく、絶対高さ制限の導入が昨今、全国各地で進んでいる。絶対高さを制限する手法は多々存在するが、一般的には高度地区制度が活用される場合が多い。高度地区はゾーニングの一種で用途地域等と連動し、土地利用の増進と市街地環境の維持を図るもので、建築基準法に基づき最低基準としての性格をもつ建築規制として適用される。
高度地区は、無秩序な高層化が急激に広がる場合など、当面、建築紛争を抑制し環境の維持を図る目的で、市街の広い区域を対象に適用されることが多い。この場合、規制のモデルとしては中小規模の敷地が連担した市街をイメージしており、容積率や建蔽率などをにらんで地区単位に制限高さが設定される。しかし、建築制限の内容を定めるにあたっては、日影規制導入前に建てられたマンションが、老朽化し更新の時期を迎えた時、絶対高さ制限と日影規制など他の制限との複合によって再建が困難となる場合もでてくるので、そうした場合に対応する措置を盛り込むなど、適切に制度設計して臨む必要があるといわれている。

 また、大都市では事業者の土地高度利用の要求、また生活者における居住環境の維持や街並み形成に向けた要求など、地域毎様々な求めがあることから、敷地規模や地域特性に応じた特例措置の設定など、土地利用と環境との調和を図る措置も求められる。即ち、大規模な敷地の場合、プラザ&タワー型の建築物が市街地整備において有効な場合も多々見受けられるので、広域指定の場合は、中小規模の敷地が連担した市街という規制モデルから外れる、街区単位の建築計画や、これに準じる大規模な敷地については、都市構造等をふまえ地域に相応しい高層化を誘導するべく、別途これに適応した基準を設け誘導していくことが肝要となる。この場合、プラザ&タワー型の建築物を有効に成立させるには、建築基準として誘導高さを一般制限高さの2~3倍程度見込まないと、その特性が発揮できないといわれている。ただし、このタイプは高層建築物となるので、この措置の適用対象区域は建築紛争が起こりにくく、またそのメリットとして緑と空地の整備が求められる地域(都心部、臨海部など)に限定する必要があるといわれている。

 さらに、絶対高さ制限は、建築形態だけでなく用途や敷地規模にも影響を与えることがわかっているので、将来的には高度地区による最低限度の制限から脱し、総合的な計画である地区計画等を活用し、目標とする誘導高さを位置づけるなどして、まちづくりの一環として目標水準へ誘導していくことが肝要とされる。そして東京、大阪など大都市は、様々な地区を抱えており、それぞれにニーズも異なる状況にあるので、高さ制限を静的・画一的にとらえるのではなく、都市やまちづくりの動きもふまえ敷地規模や地区の状況にあった建築形態が可能となるよう、場所柄に適応した適切な制限高さの設定や地区計画等による目標水準の実現に向けた誘導など、きめ細かな対応が求められる。 

参考2 日照確保のための措置

北側斜線制限

 都市への人口集中に伴い住居の中高層化が志向され、東京オリンピック前後に最初のマンション建設ブームが起こった。この新たな共同住宅が都市の一般的な居住形態となるに従い、共同住宅の高層化・大型化が進み、これが日照確保の面から問題となり、昭和45(1970)年の建築基準法改正において、第一種住居専用地域(低層住宅地をイメージ)、第二種住居専用地域(中高層住宅地をイメージ)を対象に北側斜線制限が創設された。

 しかし、この制限を日照の確保という点でとらえると、低層住居専用地域については、建物相互の南北間の距離を4mとすると、冬季に北側の敷地に建つ建物の2階部分に少し陽がさす程度のものであり、また、中高層住居専用地域については、建物相互の距離を10mとすると、北側の敷地に建つ建築物の4階部分に少し陽がさす程度の日照ということで、住宅の密集した既成市街地においては十分でなかった。そこで東京都などにおいては高度地区制度を活用し、この北側斜線制限をさらに厳しくする措置を講じた。だが、それでもなお住民にとって日照の確保は十分でなかった。

 中高層のマンション建設が進む1970年代を迎えると、各地で建築主と近隣住民との間で建築紛争が頻発するようになる。そこで1976年に建築基準法が改正され、住居系用途地域における前面道路幅員による容積率の低減措置の強化(4/10掛け)が図られるとともに、日照の確保を目的に新たに日影規制が導入された。この日影規制導入に伴い、第二種住居専用地域(現在の中高層住居専用地域)内のうち日影規制の適用区域内については、法に定める北側斜線制限が適用除外されることになった。

日影規制

 日影規制は住宅地における居住環境を保護するため、住宅地等に建築される中高層建築物によってもたらされる日影を一定の範囲内におさめることにより、地域における日照の確保を図ろうとするものである。

 この制度創設にあたり留意された点は、①低層住宅による日影や敷地境界線付近(敷地境界線から5mの範囲内)の日影の問題は、私法上の相隣関係の問題として処理することが適当であることから、公法である建築基準法上の規制の対象とはしないこと、②日照を直接確保する方式だと現状に左右され建築の後先など公平の観点から適当でないので日影規制方式とすること、③日影を考慮する水平面は、低層住居専用地域は1階の窓の中心の高さ(平均地盤面からの高さ1・5m)、中高層住居専用地域は2階の窓の中心の高さ(平均地盤面からの高さ4m)とすること、また都心部等土地利用が複合した混在地区については3階の窓の中心の高さ(平均地盤面からの高さ6.5m)とすること、などである。

 なお、日影の規制時問を敷地境界線から5~10mの区域と10mを超える区域とに分けたのは、実態に即し地域の目標とする日照時問を適切に確保するためである。即ち、5~10mの区域内では、設定された地域の目標日照時間を得るため、当該建築物以外の樹木や塀などの影響等を1時間程度みて、それを織り込み当該建築物の発する標準的な日影時間の許容値(日影規制対象時間帯<通常8時間>一目標日照時間一1)を設定した。また、10mを超える区域については、同様に目標値から当該建築物に隣接する建築物との間の複合日影も考慮し、それらの影響を当該建築物によって生じる日影の2倍とみて、当該建築物が発する標準的な日影時間の許容値(日影規制対象時間帯<通常8時間>一目標日照時間)÷2)を設定している。

 また、昨今、建築物の高層化・超高層化が進んできていることもあり、日影規制については3棟以上の複合日影の扱いが課題となっている。日影規制は東西に長い150㎡ほどの敷地で建ぺい率50%程度、敷地の南側に5m幅の庭がとれる宅地をモデルとしており、その南に建つ建築物が低層建物の場合においては屋根越しの日照を、また逆に中高層建物の場合においては敷地の東側と西側に空地が確保されるとして、建物相互の間から隙間日照を得るべく仕組まれている。

 この仕組み方を前提とすると、幹線道路沿道などにペンシルビル型の高層建築物が隙間少なく建ち並んでいく場合や、少し離れた近隣に超高層建築物が建つ場合は、実態としては目標とする日照が確保できない場合が考えられ、複合日影による日照の阻害が危惧される。一方、東西に細長い敷地の場合、これを分割しないと法規制を上回る日影が生じてしまうことから、土地の使い勝手が悪いとして敷地分割(ミニ開発)する事例も見受けられる。
さらに、日影規制導入以前に建築された老朽マンションなどを建て替える場合、マンションは店舗や事務所に比べ設計の自由度が小さいため、高さを抑えられたまま再建するとなると、住戸数の関係から事実上機能しない細長い住戸となったり、窓先空地がとれなかったり、日影規制に抵触したりして、従前の住戸床面積を確保できない事態が想定される。