江戸の消防団(町火消)員の報酬はいくらだったか
地域住民が参加する消防団は、徳川吉宗が、南町奉行の大岡越前守に命じ、町火消「いろは四十八組」を設置させたことに始まると言われる。町火消は町奉行の監督下にあったが、町人による自治組織のため経費は全て町負担で、組織、人員等は町役人の裁量に任せられた。経費のほとんどは、器具設備等の購入に費やされ、組員は無報酬だったという
地域住民が参加する消防団は、徳川吉宗が、南町奉行の大岡越前守に命じ、町火消「いろは四十八組」を設置させたことに始まると言われる。町火消は町奉行の監督下にあったが、町人による自治組織のため経費は全て町負担で、組織、人員等は町役人の裁量に任せられた。経費のほとんどは、器具設備等の購入に費やされ、組員は無報酬だったという