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【土地と人間】丙午(ひのえうま)と防災


みなさんこんにちは、日本不動産研究所の幸田 仁です。

令和8年(2026年)は、午(うま)年ですが、十干十二支で数えると「丙午(ひのえうま)」の年になります。この丙午の年は、60年に一度巡ってくる特別な「火」の節目でもあるのです。今回は、かつて多くの人々が恐れた迷信とともに、防災への備えについて考えてみたいと思います。

出生数の激減が物語る「丙午」の影

今からちょうど60年前の昭和41年(1966年)の年の出生数は約136万人と、前後の年に比べて約25%も激減したのです。

 

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背景にあったのは、江戸時代から続く迷信です。「丙午生まれの女性は気性が激しく、将来の結婚で苦労するかもしれない……」、そんな人々の不安が出生数の大きな減少に繋がったといえるでしょう。単なる迷信ですが、近代化を遂げた昭和の社会を生きていた人々にとっても「丙午」がいかに特別な意味を持つ年であったかを象徴しています。

「最強の火」と言われる理由

なぜ丙午はこれほどまでに恐れられたのでしょうか。その理由は、干支の組み合わせによる「火」の重なりにあります。「丙(ひのえ)」は 「陽の火」であり「太陽」を象徴します。また、「午(うま)」は、方位は「南」、時刻は「正午」、季節は「真夏」を指し、火のエネルギーが頂点に達するとされています。

これら二つの「太陽」と「真夏の正午」が重なる丙午は、「最強の火」を意味します。

「火」から得られる恩恵は暮らしに欠かせませんが、ひとたび大火事となれば全てを焼き尽くす脅威でもありました。この「制御不能なエネルギー」への畏怖が、江戸時代、「八百屋お七」の逸話に端を発して「気性の激しい女性」の迷信と結びつきました。「八百屋お七」は、江戸を襲った大火の際、避難先で出会った恋人に会いたい一心で放火を試み、火あぶりの刑に処された娘の物語です。お七は、丙午の年には火災が多いという江戸時代の迷信とも結びつき、丙午生まれの女性という設定で世間に広まりました。

つまり「火」の年、激しすぎる「情熱」、そして街を焼き尽くす「火災」という三つの要素が「お七」というアイコンによって結びつき、江戸庶民の心の中に「丙午=火の災い」という図式が深く刻み込まれたのです。

信仰と実利の都市計画:秋葉原の由来より

江戸の人々は、ただ迷信に怯えていたわけではありません。彼らはこの「火の脅威」に対し、信仰と防災の知恵の両面から立ち向かいました。その象徴的な場所の一つが、現在の「秋葉原」です。

明治2年(1869年)の大火をきっかけに、当時の政府は約3万平方メートルの火除地(ひよけち)を今の秋葉原に設置し、翌明治3年(1870年)に、秋葉原駅付近に鎮火社を設置しました。庶民の間では、火防(ひぶせ)の神として広まっていた秋葉信仰が根強く、鎮火社は秋葉様として親しまれたことが、後に秋葉原という地名になったと言われています。

秋葉原の重要性は、信仰対象として神社を設置するとともに、延焼を物理的に食い止める「空間」として設計された防災拠点としての火除地にありました。つまり、庶民の「火を鎮めてほしい」という切実な願いから生まれた信仰と、都市計画家たちの「燃え広がらない街を作る」という実利的な戦略が共存していたといえるでしょう。

防災意識を高める年

2026年、再び丙午の年となりました。現代の私たちが受け継ぐべきは、八百屋お七にまつわる迷信ではなく、江戸時代の秋葉原に代表されるような街づくり、「火に対する謙虚な備え」ではないでしょうか。

日本は世界の中でも有数の活火山の国です。内閣府は令和7年8月26日(火山防災の日)に「富士山の大規模噴火と広域降灰の影響」の普及啓発動画を公表するなどの対策を講じています。また、近年は山火事も大規模化、長期化する傾向にあり、火にまつわる災害は生活を脅かしつつあります。

丙午の今年は、私たちも歴史の知恵を活かしつつ、防災意識を高める年なのかもしれません。

(幸田 仁)