朝日新聞の2019年1月5日コラムに作家・恩田陸氏が「居場所」として掲載されていました。
恩田氏は「「居てもいい」と感じる場所は、たいてい自然発生的だ。なんとなく、どこからともなく人が集まってきて、つい長居してしまう場所。世間の目を気にせずに済む、ちょっと隠れ家っぽい場所。古くからある、車の入れない狭い横丁なぞはその最たるものだ。そういう場所には、時間の蓄積がある、人々の営みの歴史がある。」と解説しています。
2020東京オリンピック・パラリンピックでこのような居場所がなくなっていると感じている人が多いのかもしれないと思いつつ、建設中の町をみながら驚きや嘆きを感じていると記されていました。
居心地が良いか?は人によって感じ方が違います。特に生まれ育った環境(自然環境や家族、地域コミュニティ)や、その人自身の価値観が影響しているのだと感じます。
居心地の良さは、「生活のしやすさ」「仕事のしやすさ」に直結します。満員電車は居心地が悪いと思う人がほとんどでしょうし、最近では自宅での「騒音」が居心地を悪くしているケースも見られます。特に騒音は、低周波音(エアコンの室外機など)による健康被害を及ぼすものから、最近では「子供」を騒音と感じる人たちも増えているようです。
日常生活において、居心地が良いと感じる大きな理由として「人の思いや歴史」「他人との関係」が関わってくると私は思います。一般的に、不動産は立地や利便性、建物の機能性といった「物的な要因」がその不動産の価格を決める理由となると考えがちで、「人の思いや歴史」「他人との関係」を価格に反映させるというのはなかなか難しいものです。
しかし、不動産(土地や建物、地域)は、そこで生活や仕事をする人たちの活動(交流)の蓄積として現れてくるともいえるのです。
思い描いてみてください。誰も住んでいない団地に一人で生活することは居心地が良いでしょうか?たとえばそれがタワーマンションだったとしても同じ感覚でしょう。一方で、建物や町並みは古くさく、街路が入り組んでいたとしても、そこに親しい友人や隣人がいつものように生活している光景は、きっと「居心地がよい」と感じるのではないでしょうか?
不動産鑑定評価における「不動産のあり方」を見極めるということは、その不動産がどのように利用されてきたか、その地域がどのように機能してきたかという過去の歴史の結果の現れを探求することと言われています。
しかし、この意味は単に不動産や地域の過去をたどるだけではなく、実はそこで生活した「人々の思いや価値観のつらなりをたどること」でもあるのではなかろうかと考えます。
とても難しいことではありますが、この試みを今後も忘れずに実践していきたいと思うこの頃です。