2020/07/15 テレワークと不動産(3)

皆さんこんにちは。日本不動産研究所の幸田 仁です。

九州地方から中部・長野地方の記録的豪雨が続いています。被害がこれ以上拡大しないことを祈っています。また、コロナ感染についても、イベント開催基準の緩和などが行われていますが、依然として新規感染者が発生しており、気が抜けない状況です。

さて、今回は「テレワークと不動産(3)」と題して、これから来るべき時代における「不動産のあり方」やその「実践方法」を考えながら、私たち不動産鑑定士に必要な資質や心構えについて触れてみたいと思います。

閉店する店舗と人員削減、テレワークの推進

今回のコロナ禍による急激な経済活動の停止は、観光、小売、飲食業界に大きな打撃を与えました。観光業界では旅館やホテルの倒産・廃業、旅行代理店の店舗削減、飲食業界では1社で数百店規模の閉店と人員削減、小売業界でもスーパーの倒産、外国人観光客を主要な顧客とする企業の人員削減がこの数ヶ月の間に一挙に進みました。

一方で今回を機に多くの就業者がコロナ感染を防止するため通勤ラッシュを避け、在宅勤務やテレワークを体験した結果、テレワークを今後も継続する企業も出始めています。通勤時間や移動コストは、就業者の業務推進に少なからず直接的な影響を与えていることが実証された結果とも考えられます。

このように、企業や就業者の意識の変化は、東京一極集中を緩和し、国の方針(令和2年第10回経済財政諮問会議で提示された「骨太の方針案」など)も手伝って地方移住や通勤ラッシュを伴わない働き方を推進する方向に向かっています。しかし、首都東京に多くの企業や人々が集まったからこそ今の日本の発展があったといえる現実も忘れてはなりません。

人々が集まることによって成り立った「江戸」

江戸時代、現在の東京23区の一部であった「江戸」は世界最大の都市であり、文化と産業の中心地でもありました。その理由を竹村公太郎氏は「日本史の謎は地形で解ける」(PHP文庫)で以下のように説明しています。

「江戸に住む諸大名は、地元から特産品を取り寄せ、それを金品と交換した。各地の商人達は、江戸の食欲とエネルギーと好奇心を満たすため、ありとあらゆるモノを送り続けた。(中略)全国各地からモノが江戸に集まり、江戸で混じり合い、そして、全国各地へモノが送り出された。江戸は日本列島のモノのミキサーであった。」

 そして、同氏はこのモノは情報であり、人々の知恵の塊であり、各地の歴史と文化が染み込んでいると説明します。

都市とは、単に人が密集するだけではなく、人とともに人々の生活を支える多くのモノが必要であり、そのモノを通じて人々は「新たな発見」が生まれ、ますます栄えていくという図式が江戸にあったと言えます。

人=情報=知恵

 このように人が集まるだけでなく、あらゆるモノに包含された情報と知恵が都市を発展させたとすれば、単に東京一極集中を解消するために、地方移住やテレワークの促進だけでは東京という大都市の「知恵の宝庫」という機能や、モノを通じた「知恵の共有」が衰退してしまう可能性もあるのではないでしょうか。

 つまり急速なデジタル化によるテレワークの推進は、本来モノ(それは、道具や造作物から建物や町並み、景観などすべてを含みます)が有していた情報と知恵が人々の交流を媒介として共有されるという、情報や知恵の共有プロセスを絶ってしまう 可能性もはらんでいると感じます。

土地は商品ではない

人々の活動と暮らしを支え、都市を形成する基盤が「土地」です。そしてその「土地」には、時間軸を通じた歴史の知恵、そこで暮らし活動する人々の価値観や規範性としての文化的な知恵が内包されているのです。不動産鑑定士はこの「不動産のあり方」を通じて土地と人間との関係を探究し、不動産の価値を見極めなければならないという使命をもっています。

初代理事長櫛田光男が訴えた言葉の一つに「土地は商品ではない」というものがあります。研究所創立時の鑑定役であった米田敬一も「地価-土地は“商品”ではない」という書籍を日経新書から昭和47年に発刊しています。

昭和50年11月に櫛田が逝去した後、櫛田と交流の深かった方々から多くの追悼文が寄せられました。その一人である磯村英一氏は「櫛田氏を偲ぶ」として、以下のような寄稿をされています。(磯村氏については、当コラム「磯村英一氏(1)~「学問を忘れるな」の精神~」 をご覧ください)。

「(櫛田との思い出で)一番印象に残っているのは、土地の“公共性”についての議論をしたときである。最近でこそ“土地は商品ではない”といった“言葉”も聞かれ、バンクーバーの国連の会議などでは、土地の“公有制度”が、その共同宣言の中に盛られるようになっている。しかし、10年前のその当時は、高度成長のかけ声に、土地が投機の焦点になっていた。そのとき氏(櫛田)は、あの温顔を一瞬こわばらせながら、こんな傾向がつづいたら、日本は“大変なことになりますね”と言われた。この一言は忘れることができない、警世の一句だったのである。」

「知恵の媒体」としての不動産のあり方を忘れず、実践し続ける

テレワークにはメリットとデメリットがあります。当シリーズ第2回では専門家としての実践知がテレワークによって失われてしまう可能性を示唆しました。一方で、地方に住みながらワーク・ライフ・バランスをとりつつ、家族との絆を深めることができるという大きなメリットもあります。

当シリーズの締めくくりとしてお伝えしたいこと、それは櫛田が語った「土地は商品ではない」ということについて今一度考えなければならないということです。それは不動産や、まち並み、道路や水路、街区の配置が、上記竹村氏のいうモノとしての機能、つまり歴史や文化を内包した「知恵の宝庫」であり、これらの不動産やまち並みが、多くの人々に文化的歴史的な知恵を与えているという意味での“不動産の公共性”です。

1998年(平成10年)当時、バブル崩壊のあおりを受けた不況を打破するため、日本版金融ビッグバンの構想が始動、制度面での改革を整えた金融システム改革法が成立するなどを経て、2001年(平成13年)不動産投資信託(日本版REIT)が東証に上場しました(いわゆる「不動産証券化」の一連の流れ)。当時、高額な不動産に対し、多くの人々が少しずつ資金を出しながら不動産の取引を行う仕組みは画期的な改革であった一方、不動産が金融商品に組み込まれたことによって、これまでの不動産に対する「見方」も変化しました。

たとえ証券化された不動産であったとしても、私たち不動産鑑定士は単なる金融商品としての一側面から価値を判断するのではなく、櫛田や米田が訴えた“不動産の公共性”、即ち単なる土地と建物という意味付けを越えて、その不動産の存在が文化的歴史的な知恵を内包し、「知恵の媒体」として多くの人がそれを共有できるという観点から「不動産のあり方」を忘れずに不動産鑑定評価活動を実践し続けなければならないということ、それが不動産鑑定士に課された使命だと考えます。(幸田 仁)