2021/07/12 新・不動産評価という仕事

皆さんこんにちは、日本不動産研究所の幸田 仁(こうだ じん)です。

長引く梅雨前線の停滞によって、熱海の土石流、山陰・山陽地方の河川の氾濫が続いています。改めて日本は災害大国であると身をもって感じさせられます。

さて、国家資格としての不動産鑑定士は、昭和38年に「不動産の鑑定評価に関する法律」が成立したことで誕生した比較的新しい資格ですが、不動産鑑定評価の技術や理論は明治に設立した日本勧業銀行を中心に研究されてきたことをご存じでしょうか?今回は、弊所が発行する機関誌「不動産研究」の寄稿から、不動産鑑定評価の礎についてご紹介したいと思います。

寄稿「不動産評価という仕事」

日本不動産研究所は、昭和34年7月以来、機関誌「不動産研究」を刊行しています。昭和35年1月号(第2巻第1号)に、当時弊所鑑定役であった財部均氏が「不動産評価という仕事」と題して寄稿しています。

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【「不動産研究」第2巻第1号(昭和35年3月):表紙】

約61年前の内容ですが、現在の不動産鑑定評価の本質を突いた内容であると感じたため、改めて、「不動産評価という仕事」について皆様にご紹介したいと思います。

不動産評価に対する反省

まず、財部氏は、日本勧業銀行の不動産鑑定員時代を回顧しています。「不動産鑑定員の肩書きを与えられただけで、底の浅い評価技術を振りかざしたり、内容は空虚なくせに、もっともらしく見せかけた小細工理論で、専門外の素人筋に甘えすぎてきた嫌いはなかったでしょうか。」と反省を込めて問題提起をしました。

不動産は生きものである

長年不動産評価に携わってくると、不動産が単なる物質的な集合体には見えなくなると説明しています。その理由として、不動産は人間と同じように、時には病気(雨漏りなどの故障)にかかることもあり、あるいは不慮の災害を被ることもあり、いつかは次の世代へと譲り渡すことになるという考えをもとに、「どうも不動産は生きものとして扱ってやるほうが、素直な本性を訴えて来るようです。」と述べています。このような感覚が、「不動産評価の技術そのものにも、初めて血の通った力強さと、ゆるがぬ自信が湧き上がってきて、それによってなされた仕事の結果は、これを見守る人々にも、共感と信頼を与えているように思える」と締めくくっています。

理論評価と感覚評価

財部氏は、鑑定評価に関する理論と実際(実践)を科学的と非科学的という対立語として受け取られることに憂慮した説明をしています。そこで、理論と実際という問題を「理論評価と感覚評価」という言葉に置き換えました。理論評価とは主に数理の力を借りて計算し、結論としても数値として一つの値を導き出す方法とし、感覚評価は終始その物件の実態に直面して、その物自体の持っている特徴を、感覚的に余すところなく拾い上げていこうとする「評価態度」とします。この態度は不動産評価の豊富な経験に裏付けされた「直感的な、判断力の鋭さ」であるとも説明します。

理論評価は数理的な緻密さの理解力を武器として生み出される評価方法であり、感覚評価は「人間として尊重すべき過去の経験と、総じて物に対する感覚力の鋭さが育て上げた実践的評価技術ということである」と結論付けました。

日本不動産銀行初代鑑定部長 嶋田久吉氏の言葉

最後に財部氏が勧業銀行在職中に指導を受けた嶋田氏の言葉とその意味について述べています。鑑定評価の最高峰とされた嶋田氏は、「私達はいくら永くこの方面に経験を重ねてきましても、重ねますほど次から次へと難解な問題に悩まされ、そして個々の評価についても快心の満足点は得られないものであります。思うに不動産の鑑定評価は純粋な理論ではなく実務であり、実践理論の上に立つものであります」との見解を受け、不動産評価の険しさと奥深さの峻厳なものであるかを感じていると説明しました。

現代の不動産鑑定士に求められる資質

理論評価と感覚評価が両輪となってこそ達成可能な不動産の鑑定評価の奥深さを60年前の専門家は伝えました。現在、AI等の台頭により、世間では不動産価格が一瞬で出てくる時代となりました。しかし、それらは鑑定評価とは一線を画すものです。不動産を生きものとして捉え、数字には表れない隠れた要素を余すところなく拾い上げようとする評価態度があってこそ、不動産の適正な価値を知ることができるのです。(幸田 仁)