2024/06/24 太平洋戦争により東京駅はどうなったか(東京建築祭参照)

 1945(昭和20)年5月25日、米軍のB29による焼夷弾の直撃を受け、丸の内駅舎のドームと3階部分が消失した。25日深夜、丸の内北口の屋根裏から出火し、中央口から南口へ延焼、ドームの屋根が焼け落ちた。しかし、26日には復旧活動が始まり、27日には列車5本の運転が再開した。
 1947(昭和22)年、天野東京駅長が同じ駅舎の再建を主張したが、日本の財政事情が厳しく従来と同じ設計による再建は叶わなかった。